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としまえん閉園決定

としまえんの歴史 「としまえん」になるまで

としまえん正面

閉園の噂もあり、2020年で94年という長い歴史を持つとしまえん歴史を再度おさらいしてみました。

前にも歴史を振り返ってみた記事もありました↓。こちらよりもう少し古い方に焦点を当ててみます。

 

としまえん正面ゲート写真
としまえんの歴史 今年で開園94年を迎えます!としまえんは今年2020年でなんと開園94年を迎えます。その歴史を知ることでまた違った楽しみ方ができるかも知れません。 としまえん...

 

 

今のとしまえんの開園までを簡単に時系列に並べるとこんな感じでした。(としまえんHPやWikipediaを参考にしています。)

  1. 室町時代(14世紀末ごろ)に豊島氏によって築城された練馬城城址を中心に建設
  2. 1477年に豊島氏が戦に敗れ練馬城は廃城となる
  3. 廃城後は田畑や雑木林となり、所有者は転々とする
  4. その後に豊島公園となり、1916年に藤田好三郎が土地を入手(石神井川南側)
  5. 1925年藤田好三郎が石神井川北側の土地を入手
  6. 1926年9月15日としまんえんがオープン(当時の名前は練馬城址 豊島園)
  7. その後遊園地やホテル、を経て今の形に

 

練馬城は今で言うハイドロポリスあたり

としまえん正面ゲートからみて左手に木馬の会の受付施設があります。

この上の方にプールのウォータスライダーハイドロポリスがあります。この辺りは練馬城があったところらしいです。

この木馬の会の受付施設が西洋の古城みたいで雰囲気がありますね。

ここでかつて戦があり、戦いに敗れたそれまで土地を治めていた豊島氏の名前がいまでも引き継がれているのですね。

としまえんは石神井川を境に北側と南側

Wikipediaによるととしまえんの土地は石神井川の北側はかつて沼地湿地だったためか、悪田とされていたみたいです。

確かに石神井川の南側は土地が高い(高低差のはなし)ですよね。正面ゲートからずーと下っていって遊園地に到着となります。

川に近づくとどうしても水はけはあまり良くありません。練馬城が作られたのも石神井川の南側でした。

ちょっと不思議なのは南側にプールで、北側に遊園地という位置取りがなんでなのかなと思います。(素人考え?)

水気の多いところにプールっていうのはかなり素人なんでしょうか。と思ったらプールが出来たのは遊園地の開園後ですので場所的には後発です。

としまえんのオープン当初は池や噴水、ボートなど水を十分に利用した公園だったみたいです。今の遊園地というよりも公園に近かったみたいです。

練馬城という城から庭園、そして遊園地に

土地の活用法については色々と用途が変わっていますが一番の転機はやっぱり藤田好三郎の考え方が一番影響していると思います。

広大な土地を所有して、別荘や景勝地として個人的な利用をしていたようですが、大衆にも公開して楽しむという考えにシフトしたから今のとしまえんがあるのですね。

もしかしたら藤田好三郎の土地としてずーっと来たかもしれません。

あるいは豊島氏のとしまではなくて藤田好三郎のふじたえんと言う名前になっていたかもしれませんね。

かなり昔のことですから正確な情報はわかりませんが、人の考え方一つで遊園地になってしまうのですから土地の利用というのは醍醐味がありますね。

としまえん内では存在感のない石神井川

石神井川が・・・という話もしてきましたが、今のとしまえんは石神井川についてはあまりフューチャーされている印象はありません。橋がかかっているだけです。

石神井川をうまく使ったPRもあるのかなと思ったりしましたね。

もう一つ、ディズニーランドにはウォルト・ディズニーの像がありますけど、としまえんには豊島左近太夫景村や藤田好三郎の像はありません(多分)。

歴史がある施設ですから、振り返りのパネルなんかもあると楽しいのになと思いました。

ともかく、閉鎖(?)の話が進むとしまえんを楽しんでください。

おわり